昭和45年12月13日  朝の御理解



 御神訓 一、「生きたくば、神徳を積て長生きをせよ。」

  いたるところに、この神徳ということが出てまいりますね。お道の教典を頂きますと。神徳を受けよ、神徳を受けよと、いうふうに。ですから、金光様の御信心はおかげを頂くというか、神徳を受けることのための信心、神徳を受けることの修行という事がいえます。神徳を受ける事によって、私共がこの世だけではない、この世、あの世を通して、安心の大みかげが受けられる。
 神徳がない間は心配をする。神徳を受ければ、神徳を身に受ければ心配がないと仰っておられる。いわゆる不安のない生活、同時にまた安心の霊として、もう生死を通して、どうしても頂いておきたいのが神徳。その神徳というのは、お互い生きとるうちに頂かねば頂けない。そこでお道の信心させて頂く者は、なら神徳を受ける稽古をするんだということになると言うてもいいと思う。
 ここでは、生きたくば神徳を積て長生きをせよとこう。ただ長生きをしておれば神徳を積んでおるのかと言うと、そうではない。ここで言う長生きというのは、そういう意味ではないと思うね。神徳を積むという事は、大変に難しいと思うて、神徳を受ける事のための信心をしない人が多い。私共もやっぱり、そうであったと思う。ま、神徳を受けなくても、おかげを受ければいいというような考え方であった。
 ところが神徳を積むという事は、そんなに難しい事ではないという事を私は思う。結局、お道の信心させてもらい、お道の信心ぶりというものを身につけていけばよい。御理解の五十五節を頂いてみて下さい。御理解の55節「賃を取ってする仕事は、賃というのは賃金のことですよね。働く代償として受ける給料のことです。賃を取ってする仕事は、若い時には頼んでもくれるが、年を取っては頼んでくれぬ。信心は年が寄るほど位がつくものじゃ。信心をすれば、一年一年、有難うなってくる」とこう。
 信心は年が寄るほど、位がつく。そんならお互いこうやって信心をしておるから、だんだん位がついていくかというと、そうではない。ね、やはりここんところは、御神徳を受けていく程しの信心。言うなら真の信心をしていかなければ位はつかん。その答えがどういう事になってくるかと言うと、一年一年有難うなってくるというのである。信心をさして頂いておっても、一年一年有難うなっていっていないとすると、それはちょっと、おかしい。お徳を受けておる信心ではない。
 いわば位がついていきよるのではないと言う事が分る。賃を取ってする仕事は若い時にはと言う事はです、成程若い時にはね神も仏もあるもんかと言う様な行生き方でいってもね、結構やっていっておる人は沢山あるのですけれども、ね、段々年を拾うて参りましてから、体が言う事を聞かんようになって参りますとね、所謂誰も仕事頼んでもくれないし、同時にさあ一遍に位を貰おうと言うても、頂けるものではない。
 一年一年有難うなっていくという積み上げ、積み信心が積み上げされていくと言う事によってです、ね、成程若い時に賃を取ってする仕事と。若い時には、勢いに任せて様々な事が出来るが、年を取って段々信心の位がついていく程に、段々有難うならせて頂いて、ね、身に徳を受けて、いわば安気安穏のおかげを頂かれる。そういう土台というものを、若い時に作っておかなければならないという事である。
 私は今朝、どういう御理解を頂くか、どういう御教えを頂くか、もちろん見当がつきませんでした。御神前で頂いたことはね、「答」という字を頂いた。感じの答え、書いてみて下さい。竹冠に、合楽の合という字が書いてあるね。竹冠、そして今日の御理解を頂いてです、生きたくば神徳を積て長生きをせよと。これはこれだけの事ですから、長生きをするという事のためにも、例えば神徳を受けなければならないが、ただ長生きをしておるというだけでは、いけん。
 年を取ってから、若い者から大事にされなかったり、お金に不自由したり、困ったりすると、もう早う死んだ方がええと、こう言うたり、思うたりするようになる。これは長生きはしたけれども、神徳を受けてない、言うならば一年一年、年をとっていくだけ、位を受けてないからである。そこでここでは、生きたくば神徳を積みてという事は、神徳を積んでいけばね、これはたとえば人間の幸せになるための、すべてのものが付いてくるというのである。生きるという事だけではない。
 例えば人間の幸せに欠く事の出来ない三つの大事なものを、衣食住と言われております。ね、着物、食物、住い。段々、若い時にはそれこそま、労働着なら労働着に、で身を固めて、一生懸命働いておる。段々年をとって位がつく程に、ね、いわば<錦布>を身にまとえれる程しに、おかげを頂いて、食べ物でも段々よいものが、おいしいものが頂けるようになり、体に合うたものを頂けるようになり。
 若い時には何を食べてもよい。けれども年を取って来るとそういう訳にいかん。やっぱ体に合うたものが頂ける様なおかげを頂かにゃいけん。住いも便利のよい、ね、立派な住いに住まわせて頂く様になれる。そういう衣食住の徳と言った様なものが、神徳の中にはあるのです。そういうものが身についてくる。これに神徳、人徳、いわゆる五つの徳、五徳と申します。それをひっくるめて神徳。
 だから生きたくばというのは、長生きをするという事ではない。神徳を積んで長生きをしたけれど、ね、八十までも九十までも生きてござった。ね、いわゆる食べるものに事欠いたり、様々な難儀が伴うておったのであっては、これは長生きをした方がかえって苦しい、ね。悲しい事になる。だからどうでも、神徳を積んでの長生きでなからなきゃいけないということになる。
 ね、いわゆる一年一年、有難うなっていくという信心。神徳を積んでいくという事は、一年一年、有難うなっていくのである。いわゆる年を取っていく程に、位が付くものであると、御理解には教えておられる。そこで今日、私が頂きますその答という字からヒントを、ま、ここの御理解を頂いていたですけれども、神徳を受けていく、いわば神さまに合うという事。ね、
 これは竹冠という、竹のお知らせは素直という事。神様に一番ぴったり合うものは何かと言うとね、素直心であると思う。ね、そこに神徳という答が出てくるのである。私は今日の御理解を頂かせていただいてから、その答という字を頂いてから、ま自分の小さい時からもう覚えておるということ、かぎりをいろいろ思うてみた。私は他に取り柄はなかったけれども、非常に素直であったなという事である。
 昨日も私美登里会の会合でお話しした事ですけれども、昨日高橋さんとあの朝お話ししよるときに、子供の時に非常に人に愛されたと、人に可愛がられたと。というのはどういう訳じゃったろうかちゅうてから、まあ話した事でした。子供の時から私がお話が好きだった。だからお話が好きだったから、その好かれたという事でもないけれどもね。草野にある有名なお寺がありますが、そこの長男が私が小学校の時の友達でした。
 非常に癇の強い人で、癇癪の持ち主であった。それでもう癇癪をまわされると、ひどいですから、寺男の方が自転車で私をすぐ呼びに来よった。早う来て下さいと。私が行くと、おさまりよった。先生からも、頭はそう、ようなかけれども、確かに愛されてきた。ま、みんなにこう愛されたその元というのがですね、今、考えて見るとあの素直であったからではなかろうかと思うです。
 まあ、私がどのくらい 素直じゃったかというと、素直であるちゅうことは、良い言葉のようにあるですけれども、馬鹿んごとあるこつですよね。どのくらいに私は、子供の時に馬鹿んごとあったかということが、感じられることはね、隣に私の叔父がおりましてが、もう私がどげな事でん言う事聞くもんじゃから、どげなこつでもさせるわけ。ね、すとそれをその、ま、いやと言いきらんというような弱いところもあった。けれども、それを結局それを「はい」と言うて、それに応える。
 ね、もうその昔話でその話が出るのですけれども、私は小さい時にその叔父が、そのここに寝れとこう言うと、ちゃんと寝る。手を胸の上にあげてから寝る。もういつまでもいつまでも「よい」とは言わん。そのお客さんやらが来たら「これは、私が言う事ならどげなこつでん聞く」ちちから話しよっですもん。もう起きてよかじゃろうかと思うばってんからその、まあだよかちゃ言われんもんじゃから、起きらんでおる。
 ね、してから、その叔父が言いよるとですもん「もうこればっかりは、私が言うこつなら、どげなこつでん聞く」ちちから自慢をしよる。こっちはほいでもう、婆が来てから腹かきよりました。叔父は増太郎ちゅうて、「増たん、ああたばっかりは条件にゃおよばん」ち言うてから、ばさらかもう言うてからおごりよりました。それでもやっぱしちゃんと寝とる。それで時々は、もうそのまま寝てしまうようなこともあった。というようなね、くらいにその、馬鹿んごたるところがあったわけですね。
 それが段々長ずるに従って、なら神様と私との問題になった時に、神様がある意味合いで、もうあらゆる難題を私にもちかけて下さってもですね、私はそれを「はい」と言わば受けて来たということ。それが例えば「素直にて、雲の上まで登る道あり」というようなみ教えを頂くようなおかげになって来たんだと思う。素直にて雲の上までも登る道あるんだということは、素直心一つで、神様にもなれるんだということである。
 今日はもう一つ、こういうようなお知らせも頂いた。最近、金光教では、もう最近というか、いつも言われておるという感じですけれどもね、金光教が曲がり角に来ておるということを言われます。金光教の曲がり角と。これはお互いの信心の上にもですね、どうとかしなければ、どうとかしなければという時には、曲がり角に来ておる時です。それがちょうど、その曲がり角んところを頂くわけですね、御心眼に。
 そうしてこっちを行く道はね、まあいうならば普通の家がずいっと建ち並んでおるというお家。ね、まあいうならばま中産階級とでも言おうかね、ま、所々にはみすぼらしい家もある。そういう町並みがずっと続いておるという所を沢山の人が通っておる。まあ行ったり来たりしている訳です。所がこう鍵の手になった曲った方はどうかと言うとね、まあいうなら分限者の町というか白壁造りの大きな家がずっと並んだ町である。
 こうは普通、ま、一般の人たちの家が並んどる町であり、こう鍵の手に曲がった、そこからは、もうそれこそ、草野の新町は分限者町と昔から言われておりましたが、その新町だけはもう大きなお家ばかりです、草野の。ああいうようなお家がずっと建て並んでおるところを頂いた。そこを、ね、四、五人の人が歩いておる、その中に私も歩いておるというところを頂いた。
 お互いが例えば自分の信心に曲がり角を感ずる。ね、教団でも言われておる「金光教の曲がり角」だ。金光教の曲がり角になっておると言われておるだけではね、いけません。そこで、どういうことになるかと言うとですね、私はおかげを受けておる人の姿というものを見なければいけないと思う。ただ「金光教の曲がり角だ、金光教の曲がり角だ」と言うておるだけで、んなら、おかげを受けておる例えば分限者町に住んでおる人達を見てもですね、かえって非難をするくらい、おかしい。
 昨日の御理解に例えば「笑われて賢うなれ、とか叩かれて強うなれ」とか、ね、信心させて頂いておるなら、もう絶対悪口を言われる位な、笑われる位な所を通らなければ、おかげは受けられないという御理解でしたよね。というてわざわざ破廉恥な事をするとか、ね、わざわざ悪口を言われる様な根性、悪うにせなならんというのじゃなくて、こと神様の事になったらです、それを御本部参拝の例で申しましたね。
 こと神様と言わば約束をした事がです、ね、それを貫く事の為には、人から悪口を言われたり、笑われてからでもです、それを貫いていくと言う事。そういう例えばお徳を受けていくと言う事の上には、そういう厳しさがある。同時に今日私が言う馬鹿の様に素直であると言う事。だからその馬鹿の様に素直であると言う事の中にはね、ただ今申しますように燃える様な激しいまでの、いうなら人が馬鹿と言うても、ね、悪口を言うても、笑うてもです、それを平然とやってのけれる内容があるのです。
 儲け出しますと、「あれがいまはあげん儲け出しとるばってんが」と言うてから、その儲け出した者の悪口を言う。その儲け出したとこには、必ずなにかそこに、例えば訳があるはずだ。はー、なるほどあの人が儲け出しなさるはずだと。例えばお徳を受けて、ね、大変な信者が助かるという大きなたとえば教会が日本にもたくさんあります。そういう例えばところを妙な目で見る。あら、どうも間違っていると、どうもおかしい、と悪口を言う、もう、えてしてそうなんです。
 そして、曲がり角に来ておる金光教だと、いくら言うても、自分達はそのところ、普通の町を行ったり来たりしておるだけで、曲がり角、曲がり角、どうかせねばと言うておるだけである。そして、ここを本当に曲がってこう行ったところには、そういう分限者町があるのにもかかわらず、分限者の町に住んでおる人達のことを、悪口ども言うくらいのことである。悪口を言う前に、あの人の信心のどこから、あれが生まれて来るのであろうかと、それを研究する気にはなれない。
 ね、御神徳を受けていくということは、ね、言わば素直になるということ。それは昨日の御理解から言うと、たとえ笑われてもです、素直になるということ。いわゆる竹冠になること。ね、この竹冠、竹のような素直さというようなものがです、神様には一番ぴったり合うのである。そこから生まれて来る答えが、一年一年有り難うなっていくということであり、年を取って行くほどに位がつくのであり、その素直さが、ね、お徳という答えになって出て来るのである。
 本気でお互いが、素直にならせて頂こうという気にならなければならん。本気でその気になる時にですお徳を受けていくと言う事は、難しい事ではないと言う事になる。頭がようなからねば、器量がようなければと言う事では決してない。二代金光様、四神様がお子様の時に教祖様が頼み事をなさった。玉島という町があります。玉島までの御用を頼みなさった。そこで四神様は「はい」とそれを素直に答えて受けられた。
 ところがもう今にも降りそうなお天気模様ですから、親金光様ですね、教祖様にお伺いをなさった。「今にも降りそうにありますが、傘を持ってまいりましょうか」と言うてお伺いされた。ところが「傘は持って行くに及ぶまい」とおっしゃった。たいていの者なら、もうお伺いもしませんね。または「傘はいらんち、そればってん、あなたもう、もう降るごとあるばの、ちちから、言うに違いない。
 そこが二代目の金光様をお継ぎになるほどしのお方であったから、やはり違うとったと、ね。それでま、傘を持たず、そのまま玉島までお出でられたまではよかったけれども、帰りにはポツポツと大粒の雨が降り出してきた。途中からは、もう篠つく雨になった。金光様のお子様であることを、言わば町の方達が知っとられますから、「金光様の坊ちゃん、傘を持ちなさい」というて、何人も言うてくれた。
 けれども四神様がね、あの「金光様がね、傘はいらんと仰せられたから」と言うて傘を借らずに帰られた。 そのことを、もう教祖金光様がね、大変お喜びになったということが、あのお話に残っております。ね、濡れしぼたれになって帰って来て、「人が傘を貸そう」と言うたけれども、親金光様が、傘はいらんと仰せられたからと言うて、傘はいりませんというて借らんで来られた。
 親金光様が、そのことを見られたり、聞かれたりして大変に喜ばれた。そして、その濡れた着物を取られたら驚いたことに、下には雨が一つも通っていなかったということである。ね、お小さい時から、そういうひとつの、親金光様のお徳に触れておられた。同時に、親金光様のおっしゃることは、もうそのまま神様のおっしゃることとして、ひた受けに受け抜いておいでられた。
 そしてそこには、なるほど素直にさえなっておけば、このようなおかげも受けられるという体験を一年一年積んでお出でられた。一年一年有り難うなってお出でられた。そこに、二代の生神としての、おかげを頂かれるほしどの、おかげを受けられた。そして御歳四十歳という若さで亡くなられた。ね、してみると、ここでですね、「生きたくば神徳を積んで長生きをせよ」ということは、ただ七十までも九十までも長生きをするという意味ではない事が分かりますね。
 もうあの世この世を通しての長生きなのである。ね、同時にです、私共が信心をさせて頂いて、一年一年有り難うなってくるという信心。そこでどう言う所に焦点を置いて、その信心を、所謂お徳を受けて行く事の為の信心を目指すかというとです、場合には強引だ、強情だと言われてもいい。ね、神様にこうとお誓いしたが最後、そのことをやってやってやり抜かせて頂くという信心、是は烈しい私は心だと思う。
 熱烈な心がらなければ出来ることではない。その熱烈な心もです、素直な心というものがあって、素直な心の中にあるものであるということ。お互いが貧乏人の住んでいる町に住むよりも、ね、やはり分限者町に住んだがよい。今日は分限者街に住むというだけじゃない。いわゆる大きなお家に住まわせてもらい、もう衣食住、人間の幸せのすべてに恵まれた生活の出来れる所に住みたい。
 そういう世界を信心の世界、いわゆる真の信心の世界と、私は思う。人が儲けだしたつを、うらやましがっとる暇に、どうしてあのように儲けだしたかというようなところを、ひとつ見てみらなければいけん。ね、いわゆる曲がり角に来ておる金光教、もう長年これは言われて来たことである。これは金光教という大きな例を出さなくても、お互いの場合においても同じ、これはどうかせにゃ、こりゃどうかせにゃと言うておるだけが、長年続いておるだけじゃだめ。
 本当にそこにおかげを受けておる人の姿というものを見るがよる。そしてその人のおかげを受けていっておられる、言わば生き方というものを自分の生き方の上に、改めらさせて頂くがよい。ね、そこにはね言うならば、右から左に変わる程しの、素直さがなからなければならない。自分が今まで右と思うておったけれども、あの人は左の事をしておられるからと、自分もすきっと左の方に入って行ける素直さが必要である。
 自分は自分の行き方でと、頑張ってみる事もよかろう。けれどもそれで曲がり角をいつも感じるならば、それは間違いであると悟らせてもろうて、ね、本当におかげを受けておられる人の姿を見て、そこへ素直に入って行く所謂心。それが素直な心である。そういう素直な心が神様に合うのである。神様にいわば交流する、言わば手立てになるのである。素直心というのがそこから、今日私が頂いた様に答えが出てくる。
 どういう答えかと言うと、一年一年有り難うなっくるというおかげ。年を取っていくに従って位がついていくというおかげ。そういうおかげを頂かせてもろうていくことになるんですから、信心は楽しいことである。信心ををさせて頂いておっても、一年一年有り難うなっていかないとするなら、これはもう本当につまらん。いわゆる無味乾燥、ね、ただ長い長い水気もない砂漠を、言わば旅しておるようなものである。「賃を取ってする仕事は若い時には頼む」と言われるようにです、若い時にはね。
 素直にならんでも、強情であっても、ね、力に任せて人が頼んでくれる、仕事を。けれども年をとって来たら、もう人は頼まない。それこそ哀れな末路があるばかりである。ね、だから若い時にです、若いうちに私はね、人が言うならば、いうならチヤホヤ言うてくれる時にです、本当の信心を頂いておかなければいけない。ほんとな修業をしておかなければいけない。本気でお徳を受けていく、お徳を積んでいくことのための、信心修行、信心を志さなければならない。
 そしてその本気で素直になるぞと、いう発心をしなければいけない。「素直心にて雲の上までも登る道がついてくるのであるから、竹冠になれば、ね、いわゆる素直という心が一番神様には合うのだ。合う証拠には必ず答えが出てくる。分限者町に住むことが出来るようになる。必ず、一年一年有り難うなってくるという答えが出てくる。これが御神徳であろうかと思われるほどに、すべてのものに恵まれてくるおかげが約束される。そういう答えが出てくるというのですよね。
   どうぞ。